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前橋家庭裁判所桐生支部 昭和48年(少)492号 決定 1973年10月08日

少年 S・T(昭三二・三・七生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(罪となるべき事実)

少年は昭和四七年九月ころ、父の代理として群馬県館林市○○×丁目○田○雄方に同年八月分の家賃を取立てに行つた際、右○田が同月分は前年一二月に支払済であるなどと主張したことから口論となり、同人から顔面や頭部を手挙で十数回殴打され、更に逃げようとしたのに、左頬を木刀で一回殴打され、全治まで一〇日間の入院および二か月間の通院加療を要する傷害を加えられたことがあるところ、右○田は、少年の父が請求した民事賠償にも応ぜず、また、少年が告訴した後、警察署を訪れ、右○田の処罰結果を問うたのに対し、明白な回答を得られず、○田が処罰を受けた様子もなかつたことから、同人に対し復讐しようと決意し、翌四八年八月一一日ころ、同○○○○○×××番地の×住居において、右復讐の目的をもつて、鉄製の○○○○○○○○○○○○○○○の内部に○○○○を充填し、これに長さ八センチ位、太さ外側直径二・五センチ位のアルミパイプに○○をつめ、その一方の端にガラスを割つて○○○○○○を出した○○を、他の端に薬きようを取り付けた起爆装置を挿入して鉄板で蓋をし、ドリルを用いて穴をあけ、この穴にボルトを通してナットで締めつけ、座金を用いるなどして密閉し、次いで、電気のコードを起爆装置の○○○○から右鉄板の穴を通して○○○○○と接続するように配線し、右配線中に絆創膏を巻いたアルミ棒とブリキ板、輪ゴムなどを用いて作つた○○○○のスイッチを取付け、配線の一端を右アルミ捧に、一端をブリキ板に接続し、これを上部に穴をあけた木箱に入れ、右穴からアルミ棒の一部を出し、その上に厚紙をあてて、右アルミ棒が押され、ブリキ板と接続しないようにしてこれを包装し、木箱の包装を開披すれば、アルミ棒を引つぱつている輪ゴムが収縮して、アルミ棒が木箱の上部に飛び出しアルミ棒とブリキ板が接続して電流が通じ、○○○○○○が発火して爆発するように仕掛けた爆発物を造り、これを包装し、前記○田○雄又はその家に出入する者が死することがあつてもやむなしと決意し、同月一三日午前九時ころ、同市○○○○××××番地○○寺駅前郵便局において、右○田宛の小包郵便として発送し、翌八月一四日午後三時二五分ころ、○○郵便局配達人○島○二に前記○田方に配達させ、同日午後三時二八分ころ、同所において同人の妻○田○佐○が右小包の包装紙を開披した際、起爆装置が作動してこれを爆発させ、以上のとおり人を殺害する目的をもつて爆発物を使用し、右○田○佐○(当時二九年)に対し加療約四か月を要する前胸部挫滅創、右前腕挫滅創、右手背挫滅傷、左拇指示指切断、左膝挫創、顔面挫傷の傷害を、同所に居合わせた○村○子(当時二一年)に加療約一週間を要する頭部挫創の傷害をそれぞれ負わせたにとどまり、○田○雄およびその家に出入する者を殺害できなかつたものである。

(適条)

爆発物使用の点につき、爆発物取締罰則第一条殺人未遂の点につき、刑法第二〇三条、第一九九条

(処遇)

一  罪質

(一)  少年は本件非行を犯すに当り、○田○雄を威すことが目的であり、爆弾が最大限に爆発しても同人に対し傷害を与えるに止めるつもりであり、殺害するもやむなしと決意したことはないと述べる。しかし、少年は爆弾製造に当り、書物を読むなどかなりの予備知識を得て、火薬を燃して見るなど周到な準備行為をしており、少年により製造された爆発物は、場合によつては充分人を殺傷し得る程度に強力なものであり、そのことを少年自身も充分認識していたものと認められ、いわゆる未必の故意による殺人の故意を有していたと認められる。

(二)  次に少年は、少年の家庭では厳格なしつけにより、郵便物はその名宛人以外の者が開披してはいけないことになつており、他の家庭においても、常識として、名宛人以外の者が開披することはないと信じていたから、名宛人である○田○雄以外の人物に傷を与える意思はなかつたと述べるが、例えこの点において少年の主張をそのとおり認めても、少年の製造した爆発物は、その開披者のみならず、場合によつてはその側に居るものをも殺傷し得るものでかつ、そのことを少年は認識していたと認めたことは前述のとおりであるから、少年の故意は○田○雄又はその家に出入する者に対するいわゆる概括的殺人の故意であり、少年は爆発物取締罰則第一条に違反する外、○田○佐○および○村○子に対する殺人未遂の刑責も免れ得ないものである。

(三)  少年は本件非行を犯すに当り、かなり時間を費し、書物を読むなどして予備知識を得、材料を集め、火薬を燃してみるなど周到な準備行為をした上、爆発物の製造方法を工夫研究し、巧みな仕掛けにより人を殺害することが可能な程度に強力爆発物を製造し、小包郵送という極めて危険な手段を用いて重大な結果を惹起したものである。本件は、爆発物が一度に多数の人命を奪うことがあり得る危険極りないものである上、小包郵送という手段は、場合によつては予想もしない重大結果を引き起す可能性がある危険度の高いものであり、善良な市民に不安を与え恐怖させるなど、対社会に与えた影響も甚大である。従つて、少年の刑責は重く、社会もその処遇を注目しているものであり、その処遇自体がある種の社会的影響をもつことも考慮しなければならない。

二  情状および処遇事情

(一)1  少年が本件を犯すに至つた主たる動機は被害者○田○佐○の夫から、かなりの重傷を加えられたことにあるが、少年の家と右○田とは以前から家賃の値上げなどを巡つて対立感情があり、少年の家賃集金に際しても何度かいさかいがあり、少年としては我慢をしていたところ、前記傷害を受け、加えて、右○田は少年の入院加療費等民事賠償にも応ぜず、逆に告訴を取下げろと言つたりして増々少年の憎しみを買う行為に出るなど本件発生に被害者○田○佐○の夫にも責任が皆無とは言い切れない事情が存在する。

2  少年は、右○田が少年に対する傷害事件により処分を受けた様子もなかつたので、駐在所にその結果を聞きに行つたところ、本署で聞けと言われ、本署に行つたところ、課長が不在だからわからないなどと子供扱いされ、事件は好い加減な処置に付されたと感じ(実際には昭和四八年一月一一日に書類が送検され、同年七月三〇日に起訴され、同月三一日罰金一万五、〇〇〇円に処せられた。)警察或いは社会に対する不信を抱き、同時に、○田に対する復讐の決意をするに至つたものであるが、次に述べるように、少年の家庭は地域社会においてやや特殊な存在であつたがために、少年の側からすれば、警察や社会に対し不信を抱き、私的に復讐しようと決意したと見られる。

(二)1  少年の父は一八歳で志願兵となり、除隊後警察官となり、前橋警察署を振り出しに主として台湾及び満州において勤務している。戦後はブレーキライニング製造業を営み、昭和二五、六年ころ、その会社を少年の異母兄に譲り、生れ故郷である現住居(少年に同じ)に戻り、田畑を買つて農業をする傍ら、家作を持ち、小金を貸すなどして生活していた。その間、少くとも妻は三人、妾を一人持ち、先妻らの子らは合計九人位持つた。現在の妻(少年の母、四八歳)とは昭和二八年四月ころ、当時妻に逃げられ、末子S・I子(成長して二〇歳位で自殺した)がはしかだつたので、住込女中に来てもらい、初めの夜、半ば強制的に性的関係を結び、以後ずるずると関係をつづけて婚姻に至つた。

2  父は頑固で、短気で、自ら言い出したことは絶対に譲ることがなく、好争性があり、例えば(1)小金を貸して、返済期日までに弁済されないと、借主を詐欺罪で告訴したり、直ちに民事訴訟を提起したり、(2)実家から小判が掘り出された際、分配金請求の訴を提起したり、(3)県が昭和四六年度中の予算をもつて、少年の家の宅地に接続する農地を通過する河川の治水工事をしたいと申し出たのに対し、市に不満があると言う理由だけで、近隣の迷惑も一切考慮しないで工事に同意せず、いまだに県は着工出来ない状態であつたり、(4)PTAの総会において給食の後お茶が出ないと言う程度のことで、公衆の面前で学校を誹謗したり、(5)中学校の教師が家庭訪問すると子供の問題を話合うことをせず、自分がかつてどのように生きて来たかを語り、処世訓を説くことで終始したりするなど、地域社会から憎まれ、怖れられ、疎んぜられることを繰り返し、告訴狂、訴訟狂或いは蝮の辰と通称されて爪弾きされている。父も自ら他人の恨を買つていることを承知して、常に枕元に木刀と猟銃を置いて寝ていた。そして、家庭においては封建的で、反抗は絶対に許さず、母には奴隷的従属を強い、言い訳は一切許さず、怒鳴りつけ殴りつけることを常とし、逃げることも反抗であるとして更に殴りつけたり、例えば、作業の手違いを怒つて、母の頭に鎌で傷をつけ、血が流れているのに繃帯を巻かせて更に作業をつづけさせたりしたこともあり、経済面では財布は自分が握り、母は必要に応じて最低限度の金員をもらい、釣銭は必ず返還させるという生活で、家族には衣食とも普通家庭より目立つて質素にし、食費を切りつめて債権を買うなどして財を増す一方、寺の大多数の檀家の意思に一人反対し、「俺がやる」と言つて二〇〇万円を寄附したり、学校に松やストーブを寄附したりするなど、自ら男を上げる場面では出資することがあつた。子供らに対しては、礼義等のしつけはきびしかつたが、制圧的で機嫌をとるということは一切なく、時には直立不動の姿勢をとらせて殴打することもあり、教育は、地域社会にあつて、父程成功した者は外にないとして過去の自慢話を繰り返し、父のようにならなければいけないと言うことを教え込んだ。

3  少年の母は茨城県下の山村の生れで、高等小学校を卒業後、機織女工などをしていたが、昭和二五年ころ、足利市において女中奉公をしていたところ、当時少年の父が所有していたアパートに居住の叔母方に出入していたことから知合い、前記のような関係を生じ婚姻した。母は初婚であつたが、少年の父との生活に入つてからは、ただ子供のためにと忍従の生活に終始し、少年らの教育に関しては、父に逆うことは一切できず、却つて、父に対する不満はすべて我慢させる側になつて家庭を治めた。

4  少年の同居家族は、母が嫁いだ頃は父と先妻の子二人で、その後、兄S・A(一八歳)と少年が出生し、現在は父母、右S・Aと少年の四人であるが、家庭は前記のような父の行動および父に対する世間の評判に関し、何時も肩身の狭い思いをしていた。少年の異母姉である前記S・I子が自殺したことも、その一端を示していると解する余地もある。少年も小学生のころ、父の行動を恥しいと思つたこともあり、父のすることがすべて嫌になり、父に反抗して中二階に昇り、二、三日降りて来なかつたこともあつた。しかし長ずるに従い、少年の家が地域社会から孤立すればする程、少年およびその家族は父に対する不満、反抗心はすべて抑圧し、父は正しいことをしているのだ、悪く言う世間の方が悪いのだと考え、日頃父のする自慢話をそのまま受けて、現在では、「父を尊敬する」と言い、調査官が「何故尊敬するか」と問えば、少年も兄も「父には何をやつても及ばない」と答え、少年は例えば「ペットを造つたり、鶏小屋を造つたりする時、自分は上手にできないが、父の言うとおりすれば上手にできる」と回答し、表面的には、父に対する批判精神は全く持たず、小事においても父を崇めている。

5  少年の父は、昭和四四年五月ころ、バイクを運転中側溝に落ちて下半身不随となり療養中のところ、同四八年七月一四日湿疹のため入院し、我ままのため、幾か所か病院を変えた後、同年九月二三日医師の反対を押し切つて退院し、以後寝たきりの状態で家庭療養したり入院したりの生活であり、このため母は長い年月父の看護に勤め、少年と兄の世話が出来ないばかりか、自らも疲れ、同四七年七月三日から同年八月五日まで胃潰瘍および十二支腸潰瘍のため入院し、その間、当時一五歳の少年と二歳年長の兄が家賃の集金その他の仕事、家事等の負担を分かちあつていたもので、前記○田とのいさかいもこうした生活の中で生じたものである。

6  少年の父は現在危篤で、少年は観護措置をとられた後、当裁判所の許可により二度、父と面会している状態である。父の生命が危ぶまれるに及び、異母兄弟らとの対立が激化し、少年はこの点に対する対処も要求されており、本件犯行後、自分の財産は兄に委ねるとの遺書を書いたりしている。

(三)1  少年は以上のような家庭環境にありながら、非行歴、非行性は全くなく、小中学校を通じ書道で二、三回、美術で五、六回表彰され、中学校ではクラスの会計委員、高等学校ではクラスの選挙管理委員、学校全体の副選挙管理委員長をしており、学業は小中学校を通じ常に優秀で、高等学校(県内中位の普通校)にあつても昭和四八年一学期の成績は四四人中九番で向上しつつあり、大学に進学できる可能性も充分なものであつた。

2  少年には親友といえる程の友はなく、趣味は図書館に通い本を読む程度のもので、普通の高校生の読まない法律書を読んだり、司法試験第一次試験を受験したりしているが、昭和四八年度の夏期休暇は母や兄が、入院していた父の看病で多忙なため、少年がほとんど家におり、その間に、本件爆発物を製造することになつた。

3  少年の知能はやや高い方(中学校一年時における新田中A一式偏差値六二、同二年時における田中A式知能検査偏差値六一、高等学校一年時における村山式高校用知能検査偏差値六五、鑑別所における新制田中B式知能指数一一〇)であるが、性格思考の傾りが見られる。すなわち、内気で社会性に乏しい反面自己顕示性が強く、神経質で些細なことにこだわり、注意力が一点に集中してしまい、自己の行動の結果に対する配慮を欠く、思考は主観的な傾りがあり、その特長は独立性に乏しく、父もしくは家庭の意を汲む型で多く表れる。

三  結論

本件は右一に述べたように少年保護事件としてのみならず、一般刑事事件としても、類まれなる重大事件であり、この罪質のみから考えれば、少年に対する処遇は当然刑事処分に付するのが相当な事案であろうが、翻つて、右二に述べたような犯行の動機、家庭環境、日常生活等を検討すると、被害者○田○佐○の夫にも責められる点があること、少年が被害者となつた前記傷害事件につき警察署も多少親切に欠けるところがあつたこと、本件は少年がいかなる事件を犯しても検察官送致のできない年齢である一五歳の時、被害者となつた右傷害事件の延長的一面を有すること、少年は対社会および家庭内にあり、特殊事情による精神的重圧を背負つていたことなど、情状酌量すべき事情が少なからず存在するし、犯罪結果も、被害者○村○子の受傷は加療一週間を要する頭部挫傷に止まり、重傷を受けた○田○佐○も幸にして生命はとりとめ、身体は近く退院できる程度に回復し、回復し難い身体の傷と精神的ショックに対しては、少年の保護者において民事賠償をしたいとの意向であること、少年も充分反省していること、少年は非行歴、非行性もなく、今後再びどの様な型の非行をも犯す可能性が極めて低いのみならず、年齢的にも可塑性に富み、能力から考えると将来性も豊であること、このような点に鑑み、当裁判所は、少年を刑事処分に付して厳罰(爆発物取締罰則第一条の所定刑は死刑又は無期若しくは七年以上の懲役又は禁錮)に処し、成人同等の刑の執行を加え、いわゆる前科者の烙印を押すよりは、保護処分に対して、保護教育を施すことが相当であると考える。しかし、少年は、性格思考の傾りが大きく、本件のような重大犯を犯した点に着目すると、現段階では、少年の性格には、少年が紛争の渦中に入つた時、手段を選ばぬ行動に出る危険性がないと断ずることができない。一方、少年を取巻く環境は、被害者やその家族との対立状態、目前に迫つた父の死、その後予想される激しい相続争い等難題が渦巻いている。従つて、少年に対する保護処分は、少年を現在の環境から一定期間完全に隔離し、その性格を矯正することができるものでなければならない。

以上の諸点を総合的に判断すると、少年に対する保護処分は、中等少年院送致をもつて相当とする。

よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項後段、少年院法二条三項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 多田周弘)

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